Netflixの恋愛リアリティ番組で、出演者が語った「人に火をつけた」という過去の告白が炎上しました。この記事では、なぜこれほど批判が広がったのかを整理したうえで、「更生した人に社会は居場所を用意すべきか」「人は過去をやり直せるのか」という問いを、SNSリテラシーの観点から考えます。
「犯罪を美談にするな」
「被害者の気持ちはどうなるのか」
「罪を償ったのなら、いつまで責め続けるのか」
今回の炎上では、こうした正反対の意見が激しくぶつかり合いました。どちらの言い分にも一理あるように見えて、自分はどう考えればいいのか分からない、という方も多いのではないでしょうか。
この問題は、「出演させるべきか否か」という一つの軸だけでは答えが出ません。被害者の傷、加害者の社会復帰、番組の見せ方の責任、公的機関の関わり方。同時に発生している複数の要素を分けて考えることで、はじめて自分なりの立ち位置が見えてきます。
私が今回いちばん重要だと思っているのは、「社会復帰する居場所が必要なこと」と「テレビやNetflixに出演して有名になること」はまったく別だ、という点です。ここを混同すると、「悪いことをした人ほど注目される」という歪んだメッセージになりかねません。
私は全国の学校・企業でSNS・デジタルリテラシーの講演を行っている立場から、この騒動を「誰が正しいか」で終わらせず、複数の立場から想像する力の話として考えていきたいと思います。
恋愛リアリティ番組の「過去の告白」はなぜ炎上したのか
番組内で出演者が語ったのは、「人に火をつけた」という非常に重い過去でした。しかも番組は法務省とのコラボレーションも行っていたため、「なぜこの人物を表舞台に出すのか」「犯罪を美談にするな」「被害者の気持ちはどうなるのか」といった批判が一気に広がりました。
炎上した背景を整理すると、次のようになります。
・過去の行為が非常に重い
・具体的な被害者が存在する可能性がある
・恋愛リアリティ番組という娯楽作品だった
・過去の行為が強烈なエピソードとして消費されてしまっている
・法務省とのコラボがあったため、公的なお墨付きのような印象が生まれてしまった
・加害者の人生ばかりが注目され、被害者は置き去りになっている
このコラボを巡っては、取り下げといった動きもあったようですが、一時的にでもそうした形があったこと自体が印象を強めました。
ここで押さえておきたいのは、「過去に問題がある人が出演したから炎上した」というより、「誰が出演したか」以上に「その人をどのように取り上げ、どう見せたのか」が問題になっていたのではないか、ということです。
「罪を償った」と「被害者に許された」は別のもの
被害者の立場からすれば、加害した側が番組に出演し、人気者になっていく姿を簡単には受け入れられないでしょう。これは当然のことだと思います。
法律上の償いが終わったとしても、被害者の傷が同じ日にぱっと消えるわけではありません。刑罰には区切りがありますが、人の痛みや記憶に明確な期限はないのです。加害者が前を向いている姿を見て、「自分は今も苦しんでいるのに」と感じることは、もちろんあるでしょう。
その感情を、「もう罪を償ったのだから許すべきだ」と社会が押さえつけるのは、おかしいと思います。
ここで伝えたいのは、「社会復帰する権利」と「被害者から許してもらう権利」は、まったく別のものだということです。更生した人が社会に戻ることは、一定程度できるのかもしれません。しかし、被害者に「もう出てきたのだから」と許すことを求めるのは違う。私はそう考えています。
社会が「永遠に排除し続けたら」どうなるのか
一方で、反対側の視点も出しておきます。罪を犯した人を、社会が永遠に排除し続けたらどうなるでしょうか。
就職できない。家を借りられない。人間関係を築けない。何をしても過去を掘り返される。反省して生活を変えても、「あなたは一生あのときの加害者だ」と言われ続ける。そうなると、更生しようとする意味や気持ちそのものがなくなってしまうのではないか、という側面もあります。
だからこそ、犯罪を繰り返さない社会を作るためにも、働ける場所、安心して暮らせる環境、相談できる相手、親しい人間関係、そして再び社会とつながる機会は、一定程度必要なのだろうと思います。
ただし、居場所を与えることは、過去を肯定することではありません。ここを忘れてはいけないと思います。再犯はもちろん防がなければならない。そのうえで、もう一度社会の一員として生きてもらうために必要なものがある。この二つは、矛盾なく両立させるべきものです。
「居場所が必要」と「有名になっていい」はまったく別の話
今回の重要な論点は、「社会復帰する居場所が必要なこと」と、「テレビやNetflixに出演して有名になること」は、まったくイコールではないということです。
働いて生活を立て直すこと、人間関係を作り直すこと、誰かの役に立つこと。これらは社会に復帰するうえで必要なことだと思います。けれども、過去の行為を強烈なキャラクターとして見せて注目を集めたり、人気につなげたり、視聴数を取ったりすることは、また別の問題です。
もし「過去の行為があるから番組に選ばれた」ように見えてしまったら、「悪いことをした人ほど注目される」「被害者より加害者のほうが物語の主人公になれる」という歪んだメッセージになりかねません。
更生を応援することと、過去をエンタメとして消費することは、まったく別です。ここは混同してはいけないと思っています。
一度の失敗で「その人の印象」を固定していないか
ここからは、読者の皆さんにもぜひ考えてみてほしいことです。犯罪のような重い行為と、日常的な失敗を同じ土俵で比べることはできません。ただ、私たちは誰でも一度の失敗をします。そして、誰かの一度の失敗で、その人の印象を固定化してしまう人もいます。
学生時代に問題を起こした人。仕事で大きなミスをした人。SNSで炎上した人。人間関係を壊してしまった人。過去に間違った発言をした人。SNSは過去の投稿が残り続けるので、今どれだけ変わっていても、「あなたは昔こうだったじゃないか」と言われ続けることがあります。かつて迷惑系と呼ばれるような活動をしていた人が、今は前向きな活動を一生懸命やっていても、過去だけで語られてしまう。そういうことが実際に起きています。
人は変われる。これは間違いないと私は思っています。しかし、そう言いながら、変わろうとしている人を引きずり下ろすような社会になっていないでしょうか。
ただし、「昔のことだから忘れよう」で終わらせるのも違います。大切なのは、「過去に何をしてしまったか」だけではなく、「その後どう向き合い、何を積み重ねてきたのか」。完全に忘れることはできないでしょうが、そこをきちんと見る人が増えていかないと、社会はいつまでも更生が難しい社会であり続けるのではないでしょうか。
「本当に変わったか」は、その後の行動でしか分からない
「反省しています」「今は変わりました」と言うだけなら、誰でもできます。本当に変わったかどうかは、その後の行動を見ていくしかありません。
・過去の行為を正当化していないか
・被害者の痛みをきちんと想像できているか
・自分が被害者であるかのように語っていないか
・同じことを繰り返さない生活を続けているか
・過去を利用して注目を集めようとしていないか
・周囲への責任をきちんと果たしているか
とくに今回のケースで重要なのは、「過去を利用して注目を集めようとしていないか」という点です。更生は、一度謝罪すれば完了するものではありません。毎日、長い期間にわたって行動を積み重ね、長い時間をかけて示していくものです。
だからこそ、視聴者が「すぐには信用できない」と感じること自体は、まったく不自然ではありません。何もおかしくない反応だと思います。
SNSは「分断する言葉」が伸びる。でも現実はもっと複雑
今回の問題は、「一度罪を犯した人間を出演させるな」という意見と、「更生した人をいつまで責めるのか」という意見が正面からぶつかり合っています。制作側も視聴数を取りたいので、見せ方を工夫している部分があるのだと思います。
SNSでは、何かを分断する言葉が伸びます。しかし、現実の問題はもっと複雑です。
・被害者の傷は尊重されなければならない
・加害者にも立ち直る機会は必要である
・罪を美談にするのはよくない
・過去だけで、その人のすべてを決めるべきではない
・番組側には見せ方の責任がある
これらは、どれか一つを選んで語れるものではなく、すべて同時に発生している要素です。
私は、これからの時代のSNSリテラシーの定義はどんどん広がっていくと考えています。すぐに「敵と味方」に分けるのではなく、複数の立場から多角的に想像する力、判断する力。それがSNSリテラシーの大事な要素になっていくはずです。
番組側と公的機関に必要だった配慮とは
今回の件は、出演者個人だけでなく、制作陣や公的機関も他人事ではありません。もっと工夫できたはずだと思います。
たとえば、次のようなことです。
・過去の行為を刺激的な見せ場にしない
・更生までの経緯を丁寧に伝える
・被害者側の存在を忘れない
・犯罪をキャラクター化しない
・公的機関はコラボの目的を明確にする
・視聴率や話題性と、社会的責任をきちんと切り分ける
「出演させるか、させないか」だけの問題ではありません。出演させるのであれば、なぜこの人を取り上げるのか、番組を通じて何を伝えるのか、誰かの傷を再び広げる可能性があるならどう配慮するのか。そこまで考えなければならなかったのではないでしょうか。
今のコンテンツは、「バズったら勝ち」「視聴が取れたら勝ち」という空気の中で、過激な見せ方をするものも少なくありません。だからこそ、そこに配慮ができるようになれば、今回のような大騒ぎにはならなかったのかもしれないと思います。
過去を忘れないこと、未来を奪わないこと
改めて整理します。許すことと忘れることはイコールではありませんし、なかったことにすることでもありません。全員が好きになる必要も、応援する必要もありません。被害者が「許せない」と思っていることは、尊重されるべきです。
けれども、社会全体が一人の人間に「一生立ち直るな」と言い続けるのも、正しいとは思えません。個人として「許せない」という感情を持つことと、社会として更生する機会を用意すること。この二つは両立できるのではないでしょうか。
いろいろな感情を持つこと自体は、何も悪いことではなく、自然なことです。ただ、それがすべてでもありません。「あなたがどう思うか」は必要ですが、それとは別の軸で「社会としてどうなのか」を切り分けて考える必要があります。
罪を犯した人には、それ相応の刑罰が下されます。そこで決められた償いが終わった後、やり直すための居場所は、社会として用意すべきだと私は思います。働く場所、暮らす場所、誰かと関係を築き直す機会。そうしたものまで奪ってしまったら、更生できる社会にはなっていきません。
しかし、居場所を与えることと、過去を美談にすることはまったく違います。罪を償ったことと、被害者の傷が消えることもまったく違います。有名になることが更生の証明になるわけでもありません。人は変われます。ただし、変わったことは言葉ではなく、その後の行動で示さなければなりません。
被害者の痛みを置き去りにせず、それでも人がもう一度生き直せる社会を作っていく。過去を忘れないこと、そして未来を奪わないこと。本当に難しいことですが、この両方を同時に考える必要があると、今回の騒動を見て私は思いました。皆さんは、過去に罪を犯した人が番組に出演することをどう考えますか。どの意見にも、正解や間違いはないのだと思います。
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