材料があるから作れる。それは事実です。けれど「作れる」ことと「作る義務がある」ことは別です。この記事を読めば、見えている情報だけで相手の判断を否定してしまう危うさと、影響力のある人が店の1場面を公開したときに何が起きるのかが分かります。
「材料はあるのに、なぜ断られるのか」
「できませんで終わらせるのは、仕事として怠けではないのか」
お客の立場でそう感じる瞬間は、誰にでもあります。そしてその気持ちは、決して理不尽なものではありません。だからこそ、線が引きにくいのです。
この記事では、2026年9月に話題になった、あるインフルエンサーの方の投稿を題材に、何が論点になったのかを整理します。当事者を責めるためではなく、自分が同じことをしないための材料として扱います。
注目してほしいのは、「どうしたらできるかを考えよう」という主張そのものは、決して間違っていないという点です。にもかかわらず燃えました。同じ言葉が、向ける方向を変えるだけで意味が変わるからです。
私は全国の学校・企業・自治体でSNS・デジタルリテラシーの講演を行っています。今回は「発信を控えましょう」ではなく、「反論できない相手に向けて書いていないか」という視点をお伝えします。
何が起きたのか
2026年9月中旬、総フォロワー300万人規模のインフルエンサーの方が、Xに次のような内容を投稿しました。
飲食店でメニューにない飲み物を注文したが、材料はそろっているのに「ありません」と断られた。それに対して「できるやろ」という反応を示し、さらに「マニュアル順守より顧客満足を重視するのが本当のホスピタリティだ」「できませんで終わる人はAIに奪われていく」という持論を展開しました。
この投稿が拡散され、フォロワー約7万人のユーザーが批判的に引用した投稿が363万表示、2.8万いいねを集めました。
批判の中身は、客の要望に全部応えていたら飲食店は成り立たない、その飲み物は希釈済みなので炭酸で割ったら薄まって別のものになる、店側の事情があるだろう、といったものです。
その後の本人の説明では、最終的に店は作ってくれた、いい店だったと感謝を表明しています。一方で、擁護の投稿を引用しながら批判には反論を続けていました。
なお、強要があったとは報じられていません。頼んで断られ、最終的に店が作った。その間に何があったのかは本人の投稿しか情報がないので、この記事では強要があった前提では扱いません。
「できるやろ」は正論なのか
材料があって、特別な技術も必要ない。混ぜるだけだからできる。これは事実です。
でも、「できる」と「やるべき」は別です。
店がその飲み物をメニューに載せない理由は、いくらでも考えられます。
- 希釈済みの飲料を炭酸で割ると薄くなり、店として出せる味にならない
- メニュー外を一度受けると、次から全部受けなければならなくなる
- アルバイトの判断で「作れます」と言っていいか決まっていない
- レジに項目がなく、会計の処理が煩雑になる
- 単純に忙しかった
どれも、客からは見えません。客に見えるのは「材料があるのに断られた」という事実だけです。
だから「できるやろ」と言いたくなる気持ちは、とてもよく分かります。でも、見えている情報だけで相手の判断を否定するのは、SNSでもっとも危ないパターンです。
以前の記事で、事実と憶測は同じ速さで流れるという話をしました。今回も同じです。「材料がある」は事実ですが、「だから作らないのはおかしい」は憶測です。
「どうしたらできるか」は、自分に向ける言葉です
本人はこれをホスピタリティの話にしていました。マニュアルより顧客満足、できませんで終わる人はAIに奪われる、と。
この主張自体は、半分は同意します。できませんで思考停止する人より、どうしたらできるかを考える人のほうが、仕事はうまくいくと思います。私もココナラでの相談や講演の仕事で、基本的にそう考えています。
でも半分は違うと思うのです。
「どうしたらできるかを考える」は、自分に対して使う言葉です。自分だったらできませんで終わらせない。これは向上心です。
けれど相手に対して使うと、「お前はなぜできないんだ」という要求になります。同じ言葉でも、外に向けるか内に向けるかで意味が変わるのです。
「できるやろ」は、自分に言うなら前向きかもしれない。でも店員さんに言えば、圧になります。しかも、総フォロワー300万人規模の方が投稿すれば、その圧の大きさはまったく違います。店員さんは、自分の対応がそんなに大勢に見られるとは思っていません。
いちばん気になったのは、店の1場面を公開したこと
今回もっとも気になったのは、店の事情を知らないまま、店での1場面を公開したことです。
店は反論できません。店名が伏せられていても、店員さんは自分のことだと分かります。メニューにないから断ったという当たり前の対応をしただけなのに、ホスピタリティがない、AIに奪われると、大勢の前で言われたことになります。
影響力のある人が一般の人を一方的に評価するとき、相手には反論する場所も影響力もありません。そしてSNSはそれを持論として流通させます。「できるやろ」に共感する人もいれば、客のわがままだと思う人もいる。でも当事者である店員さんの声は、どこにも出てきません。
私は基本的に、SNSで誰かのことを書かないようにしています。ニュースや企業の話なら、相手にも反論の余地があります。けれど駅員さんや店員さん、コンビニの方について「こういう対応だった」と公開するのは、名指しでなかったとしても、反論できない相手への攻撃のように映るのではないかと思うのです。
「作ってくれた」という説明について
もうひとつ気になったのは、最終的に作ってくれた、という説明です。
これは感謝の形で書かれています。でも批判している側からすると、「言われた店が折れた」という見え方になります。本当のところは分かりません。快く作ってくれたのかもしれないし、困って作ったのかもしれない。
ここでも主語の問題が出てきます。「作ってくれた」の主語は店なので、店の判断で作ったということです。でも読む側には「作らせた」ように見えてしまう。
以前の記事で、説明は相手が知りたい順番で書くべきだという話をしました。この件も、店が最初に断った理由を本人が書いていれば、受け取られ方は違ったはずです。「店の事情を聞いたらこういう理由だった。それでも作ってくれてありがたかった」。これなら、店の判断も尊重しているように見えたと思います。
メニューにないものを頼みたいとき、どうするか
1. 「できますか」と聞く
聞くのは自由です。断られたら、それが店の判断です。「できるやろ」は言わない。理由は聞いてもいいけれど、詰めないこと。
2. 作ってくれたら、それは店の好意だと考える
メニュー外を作ってくれたなら、それは当然ではなく好意です。好意は感謝で返すのがいちばんです。
3. 店の1場面をSNSに書く前に、店員さんが読んだらどう思うかを考える
いい話でも悪い話でも、相手には反論の余地がありません。本当に公開していいのかを、一度考えてみてください。
この構造は、店だけの話ではありません
反論できない相手に向けて書いてしまう構造は、飲食店の話に限りません。
学校の先生の対応、役所の窓口、宅配の配達員、コールセンターの担当者。どれも、相手は組織の一員として決められた範囲で対応しているだけで、その範囲を決めたのは本人ではありません。それなのに、公開されて評価されるのは目の前にいた個人です。
そして、投稿した側にはほとんど自覚がありません。組織への意見を書いたつもりでも、読んだ人が思い浮かべるのは、その場にいた一人の顔になってしまう。
子どもたちに伝えるときも、ここは押さえておきたいところです。「悪口を書かない」だけでは足りません。自分が書こうとしている相手に、言い返す場所があるかどうか。ここを一度確認できるようになると、書き方は自然と変わっていきます。
まとめ
- 総フォロワー300万人規模のインフルエンサーの方が、メニュー外の注文を断られて「できるやろ」と投稿し、批判が集まった。その後、店は作ってくれたと説明している
- 「作れる」と「作る義務がある」は別。客には店の事情が見えないので、見えている情報だけで判断を否定するのは危うい
- 「どうしたらできるか」は自分に向けるなら向上心、相手に向けると圧力になる
- 店の1場面の公開は、相手に反論の余地がないという点で不均衡
- 客としては、聞くのは自由。断られたら終わり。作ってくれたら好意。書くなら店員さんの目線で一度考える
自分の影響力の大きさは、自分からはいちばん見えにくいものです。だからこそ、相手に反論の場所があるかどうかを、書く前の一度の確認にしてほしいと思います。
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