私はもともと偏差値37だったんです。勉強が苦手だし嫌いだったんです。
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私は小学生のころからあまり勉強ができる方ではなく、中学校に入ってからのテストも中1なのに50点以下の科目なども多々あるような状況で母も心配していました。
心配になった母は、私を地域の学習塾に入塾させることを決定。塾生が入塾する際に受ける模試での成績「偏差値37」。そんなどうしようもない成績ではありましたが、塾で素敵な先生に恵まれました。
授業が楽しくて、テスト週間は塾の自習室にこもって勉強をするようになりました。やはり家で勉強するよりも、環境を変えた方が身になりました。そして、ワークも豊富にあったため、それを何回も解くことでどんどん力がついていきました。
気付けば37だった偏差値は60以上に。私は一気に順位を上げる面白さが癖になり、気付けば勉強が楽しくなっていました。そこで私は「こうなったら地域ナンバーワンの高校に入ってやろう」という無謀なチャレンジを開始。そして、中3の秋の模試では偏差値73オーバー。偏差値37の男が偏差値73になったわけです。内申点は43。絵が絶望的に下手で美術は3だったのです。美術以外で1科目でも5を逃したら推薦がもらえない状況だったのでひやひやしましたが、無事に地域ナンバーワンの高校に推薦で合格しました。
そして高校に入学。私が入った高校は地域ナンバーワンの進学校だったため、各中学校の学年トップ層が集結します。そのため、どこかの学年トップ層が最下位になるという恐ろしい世界なのです。
私も真ん中かそれより下くらいの順位でした。
一橋大学に入るには学年で30位くらいにいないといけなかったのですが、それほどうまくはいきませんでした。
高校3年生の時、一橋大学志望の受験生だけが受験する模試で平均点が取れませんでした。一橋大学に特化した対策をしていたのにもかかわらずです。あの時は担任にも「厳しいんじゃない?」といった雰囲気を醸し出されて、やるせない気持ちになったのを覚えています。
現役時代は結局不合格。浪人をすることに。1年で100万円以上の費用がかかる人生の大勝負。毎日勉強と向き合い続けました。一切止まることはなかったです。お盆も大晦日も一切休みなく塾が開いている時間はずっと塾にいました。そして、現役時代に平均点もとれなかった一橋模試で全国3位を獲得。しかしセンター試験(現在で言う共通テスト)で失敗、拒食症に。何も食べられない状態で一橋大学を受験し、悲願の合格。
そして一橋大学卒業後は国家公務員になり、その後2年で退職して現在は講演家・電子書籍作家として活動しています。その傍ら、塾講師として10人以上の生徒の個別授業を担当しながら、オンライン家庭教師も5人ほど担当しています。
壮絶な人生。だからこそこの書籍を出す意味があると思いました。
嬉しいことに家庭教師を3年間、塾講師・オンライン家庭教師を現在もやっている中で、「櫻井さんが学校の先生だったらよかったのに」「櫻井さんの授業は楽しくて90分もあっという間に終わる」「英語が好きになった」「少し気持ちが軽くなった」といった嬉しい言葉をたくさんいただいてここまできました。
そんな私の持つ考え方や効果的だった勉強法を惜しみなく本書に詰め込みました。
こんな”這い上がり人間”が正々堂々と全ての熱を込めて書き上げる一冊です。きっとみなさんの参考になる部分があるかなと思います。
あなたの人生が本書を通して少しでもいい方向に進んでくれたら、それ以上の幸せはありません。
それでは、本編でお待ちしています。
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